モテない理由

こんな事書いたら絶対に痛いやつって思われるかもしれないけど、多分誰も読まないので好きなこと書きます。

自分なりにモテない理由を分析してみました。この分析は自分が今まで人と関わってきた中であくまで自分を客観的に見てやっています。

一つは気を使いすぎちゃうこと。たぶん女の人はドライで自分の世界を持っている男の人の方が好きで、俺みたいな周りの人達や大人の顔色を見て行動を変えてきたような男は、貧弱で自分の考えを持たない人だと思われるのだろう。あながち間違いじゃない。これまで生きてきた中で一回でも自分の考えで行動をしたことがあったっけ、まぁいいや。

二つ目。キモい

世の中でこれだけ気持ちの悪い人はいないのではないかというくらいキモいと思う。もっと噛み砕いてキモさを説明すると、自分の中には男女両方からこう思われたいっていう「理想の自分」がいて、そうなろうとするんだけどその努力が中途半端というのもあるし、そもそも、その「理想の自分」と「現実の自分」がかけ離れすぎているんだと思う。「理想の自分」というのはもっと積極的でどんなフリも応えていつも意外性を隠し持っている。でも「現実の自分」は怠惰なくせに人の荒探しばっかりして、人の前に立つと何もないところから笑いを見つけようと迷走していて、多分周りから見たら笑いに取り憑かれた狂人のように見えちゃうんじゃないかな。

まぁつまり何が言いたいかっていうと、考え方も格好も全部中途半端だからなんの属性にもなり切れず相手がどんな目で見ればいいか分からず、相手がやっと掴めてきた時にそれを察知してそれ以外の自分になろうと努めてしまうところなんだと思う。他人にも自分にも決めつけられるのが嫌なんだ。でもそんな自分が好きなんだ。キモいでしょ?

三つ目。臆病。

一つ目にもつながるとは思うけど、何をするにも臆病。これをしたら相手がどう思うかとか、失敗したらどうしようとか余計なことを考えちゃってなかなか実行できない。そのせいで習い事とか勉強とかから逃げてきた。自分の限界を知るのが恐ろしくて制限をどこかでかけてきた。それを親や先生は「怠惰」って言っていたけど、それは違うと思う。たぶん。

でも臆病に救われて自分を保ってきた節はあると思う。

四つ目。優しすぎる。

自分を褒めているわけじゃない。勝負事にとにかく弱い。特に相手が人間だと。俺は人が大好きだから年がら年中周りの人のことを考えている。そうしていると自分と相手の境目がわからなくなってくる。他の人の気持ちを考えすぎて自分をどっかに置き去りにしているのかも。だから喧嘩とか競争とかをふっかけられても自分は負けていいと思っちゃう。それが相手にとって幸せならそれでOKなのかなって。冗談ではなく、1000時間スマブラ をやってきてやっとそれに気づいた。負けを認めることなんていくらでもできて、その度に相手が喜んでくれるならそれでいいかなって。でも自分以外の誰か、家族とか友人とかに限らず他人の何かがかかっている時は真剣になれると思う。自分以外は常に自分よりも上の存在だから。それはずっとそうだった。自分がどんなに邪険に扱っていると見えるような人でもその認識はある。

 

てかまぁなんか結局何言ってるかわかんない感じになったけど一旦ここまでにします。おやすみぃ、まだ寝ないけど。